CARTIER

カルティエ

1847年、宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエがパリで創業。かつてエドワード7世に「王の宝石商、宝石商の王」と言われたように、各国王室の御用達ブランドでもある。パンテール(豹)はメゾンのシンボル。時計、ライター、筆記用具、レザーアイテムなども。

「王の宝石商、宝石商の王」と
言わしめた、唯一無二の存在

1847年、ルイ・フランソワ=カルティエが修業先の師匠から、パリ・モントルゲイユ通りの工房を受け継いだことが、華麗なるカルティエ物語の始まりである。彼はブランドの基礎を築き、2代目のアルフレッドに経営をバトンタッチ。1899年、アルフレッドは、現在も本店を構えるパリ・ヴァンドーム広場北側、ラ・ペ通りにブティックをオープンする。そしてここを拠点に、3人の息子たちとともに、カルティエを国際的なジュエラーとして発展させてゆくのだ。パリ店の責任者は長男のルイ・カルティエだった。

ラ・ペ通りに店を構えた翌年、カルティエは世界で初めて、プラチナをダイヤモンドジュエリーの台座に採用。特殊な技術を駆使した“ガーランド スタイル(花手網様式)”を考案した。この優美でユニークなジュエリーに魅了されたのは、異国の王や王妃たちである。次々と式典用のジュエリーの注文が入り、わずか数年のうちにカルティエは王室ご贔屓のジュエラーとして有名になった。そんなカルティエを、英国のエドワード7世は「王の宝石商、宝石商の王」と称えたという。1902年には末息子のジャックが指揮を執りロンドン店をオープン。その後はニューヨークにも進出する。

ニューヨークでの出店により、カルティエは、アメリカの気鋭の実業家や富裕層の心をつかみ、やがて訪れる30~50年代の映画黄金期、グレース・ケリーやエリザベス・テイラーといった、有名女優との交流につながってゆく。一方、本拠地のパリでは、20年代にジャン・コクトーが小指に“トリニティ”リングを着けて話題になるなど、後のロングセラーアイテムが誕生しつつあった。日本初のブティックが原宿に誕生したのは1974年。以来、カルティエの優美な輝きは、現代の日本女性たちを虜にして止まない。デイリーアイテムからハイジュエリーまで、常に憧れの存在であり続けるのである。

2代目・アルフレッドとその3人息子たちは、非常にクリエイティブで希少なジュエリーを発表し、1900年代にはカルティエを一気に国際的な存在へと導いた。 Cartier Archives © Cartier
2代目・アルフレッドとその3人息子たちは、非常にクリエイティブで希少なジュエリーを発表し、1900年代にはカルティエを一気に国際的な存在へと導いた。 Cartier Archives © Cartier
1899年、パリ・ヴァンドーム広場の北側にあるラ・ペ通りにブティックをオープン。ここは現在もカルティエの拠点。荘厳かつ優美な外装・内装ともに目を奪われる。 Thierry Malty © Cartier
1899年、パリ・ヴァンドーム広場の北側にあるラ・ペ通りにブティックをオープン。ここは現在もカルティエの拠点。荘厳かつ優美な外装・内装ともに目を奪われる。 Thierry Malty © Cartier
かつてジャン・コクトーの小指に輝いていた名作、スリーゴールドの“トリニティ”リング。Vincent Wulveryck© Cartier
かつてジャン・コクトーの小指に輝いていた名作、スリーゴールドの“トリニティ”リング。Vincent Wulveryck© Cartier
赤地にゴールドの模様が入ったボックスはカルティエのシンボル。
©Shinsuke Kojima
赤地にゴールドの模様が入ったボックスはカルティエのシンボル。 ©Shinsuke Kojima
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