TIFFANY & CO.

ティファニー

1837年、チャールズ・ルイス・ティファニーがニューヨークに創業。1886年、エンゲージリングのスタンダードスタイルである“ティファニーセッティング”を考案。ダイヤモンドの輝きを最大限に引き出すため、爪で持ち上げるデザインは当時の画期的発明だった。銀製品、テーブルウェア、レザー小物なども展開。1837年から使用されている箱のティファニー ブルーはアイコニックなブランドカラー。

タイムレスなその輝きはニューヨークで生まれ、ニューヨークで育った

今日同様、1830年代のアメリカでも世界中の才能が集まっていた街、ニューヨーク。ポジティブでエネルギッシュな空気の中、大成功を収めたのが、チャールズ・ルイス・ティファニーである。1837年、彼はブロードウェイ259番地に、ティファニー第一号店をオープン。自らの目で選んだ贅沢で希少なアクセサリーやステーショナリーが並ぶ店は、当時、際立つ存在だったという。そして1848年、ヨーロッパの王室や貴族たちから多数のダイヤモンドを買い付け、ジュエリー業界に進出。その数と見事なクオリティは世間を驚かせ、トップジュエラーとしての道を歩み出した。

1870年に店はユニオン・スクエアに移転。この工房では、現在もニューヨーク本店に常設展示されている128.54カラットの伝説のイエローダイヤモンド(=ティファニーダイヤモンド)が初披露された。さらに1886年には名作エンゲージリング“ティファニー セッティング”が誕生。そして1902年、創業者の息子、ルイス・コンフォート・ティファニーがブランド初のデザインディレクターに就任し、パリ留学で培った抜群のセンスを発揮して、数々の「アートジュエリー」を創作した。さらにルイス・コンフォートの粋なライフスタイルも顧客に憧れを抱かせたという。

現在のニューヨーク本店がある、5番街と57丁目の角に移転したのは1940年のこと。この時代を迎えると、ジャン・シュランバージェやエルサ・ペレッティ等、デザイナーたちの才能が開花し、今なお愛され続けるジュエリーが次々と誕生する。やがて1961年の映画『ティファニーで朝食を』の大ヒットにより、ティファニーの名は世界的に認知され、本店はニューヨークの名所として誰もが知る場所になった。その後も数多くの映画の中でヒロインを華やかに飾るティファニーのジュエリー。ニューヨークで生まれ、ニューヨークで育ったそのタイムレスな輝きは、永遠である。

1870年から1905年までユニオン・スクエアに店を構えていた頃のティファニー。87歳のチャールズ・ルイス・ティファニー(右)が顧客とやり取りしている。店内には贅沢な品々がズラリ。©The Jewelers’ Circular
1870年から1905年までユニオン・スクエアに店を構えていた頃のティファニー。87歳のチャールズ・ルイス・ティファニー(右)が顧客とやり取りしている。店内には贅沢な品々がズラリ。©The Jewelers’ Circular
1878年に購入した287.42カラットの巨大なイエローダイヤモンドは、128.54カラット・82面にカットされ、ブローチやチョーカーの一部として活躍した。現在はネックレスとしてニューヨーク本店に展示されている。©Tiffany & Co.
1878年に購入した287.42カラットの巨大なイエローダイヤモンドは、128.54カラット・82面にカットされ、ブローチやチョーカーの一部として活躍した。現在はネックレスとしてニューヨーク本店に展示されている。©Tiffany & Co.
ニューヨーク本店の入り口上には、シンボルのアトラスクロックがニューヨークで最も正確に時を刻んでいる。©Andrew Bordwin
ニューヨーク本店の入り口上には、シンボルのアトラスクロックがニューヨークで最も正確に時を刻んでいる。©Andrew Bordwin
シュランバージェの名品、エナメルブレスレットはジャクリーン・ケネディのお気に入りだった。©Carlton Davis
シュランバージェの名品、エナメルブレスレットはジャクリーン・ケネディのお気に入りだった。©Carlton Davis
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